2010年04月29日

【日本発 アイデアの文化史】インスタントラーメン(上)(産経新聞)

 □庶民の目線 天ぷらがヒント

 ■登場から半世紀…世界で年間936億食

 お湯を入れて数分で食べられるラーメンやそばなど、いわゆる即席麺(めん)の消費量は、世界で年間936億食。世界中の人が年に約14回ずつ食べている計算になる。これは2008年のデータで、数は年々増えているそうだ。

 世界的にもメジャーな食品になりつつある即席麺を発明したのは日清食品の創業者、安藤百福(ももふく)。今年で生誕100年を迎えた故人の名前を知っている人も知らない人も、同社の製品を一度くらいは食べているはず。「出前一丁」「カップヌードル」「どん兵衛」「UFO」…と聞けばきっと。

 いまやコンビニやスーパーの棚で、けっこうな面積を占めている即席麺の起源をたどると、1958(昭和33)年に発売された「チキンラーメン」に行き着く。じつは登場から、まだ半世紀しかたっていない。

 大阪・梅田のターミナルから急行で20分。上方落語の演目「池田の猪(しし)買い」の舞台である大阪府池田市。即席麺の歴史は、この町ではじまった。昔はイノシシ猟をするような田舎だったのだろうが、いまは郊外のベッドタウン。駅から歩いて数分。住宅街の一角に、日清食品の「インスタントラーメン発明記念館」が立っている。

 展示室に、安藤が世紀の発明を行った自宅の小屋が、模型で再現されていた。本格的な研究所みたいなものを想像していたから、ちょっと驚き。それっぽい器具といえば、手動式の小さな製麺機ぐらい。そのほかは調理台から鍋釜、はかり…ありきたりの台所でしかない。案内してくれた担当者がにっこり笑う。

 「安藤は『発明に立派な道具はいらない』と言っていたそうです」

 天ぷらがヒントになったというから、アイデアも庶民的。試行錯誤を繰り返して、お湯をかけるだけで食べられる即席麺を生み出した。

                   ◇

 即席麺が、どれほど画期的だったかを考えるために、まず歴史を知る必要がある。私たちが「ラーメン」と言われて思い浮かべるのは、小麦粉を原料にしたそばをスープに入れた食品。日本で食べられ始めたのは明治時代からだという。いまのように専門店などはなく、中華料理店の一メニューとして「汁そば」「支那(中華)そば」などと呼ばれていた。

 かつて安藤とともに国内外をめぐり、麺食文化を調査した伝承料理研究家の奥村彪夫(あやお)(72)は、こう言い切る。

 「そもそもラーメンは日本語です」

 ほんとですか?拉麺なんて漢字表記もあるし、てっきり中国伝来かと。

 「拉麺という中国語は、手延べ麺という程度の意味。ラーメンは札幌の中華料理屋が大正時代に使い始めた地域限定の言葉でした。戦後になって、全国的にラーメンという呼ばれ方が定着しますが、チキンラーメンの発売は、その大きなきっかけになった」

 スーパーマーケットの台頭、テレビの普及と時を同じくして登場した「チキンラーメン」はあっという間に、爆発的なヒット商品になる。後発メーカーも相次いだ。

 「チキンラーメンが出て、屋号がみんなラーメン屋に変わりましたね」

                   ◇

 安藤が発明したのは、簡単にいえば「瞬間油熱乾燥法」ということになる。

 蒸した麺に味付けをして、熱した油に沈めて揚げる。すると、水分が蒸発して麺には細かな気泡ができる。お湯をかけると、気泡に水分がしみこんで、ゆで麺にもどる。聞けば簡単。だけど、思いつくのは偉い。そしてもっと偉かったのは、アイデアを独占しなかったこと。安藤は「競争するほど、いい商品ができる」と語った。多くの会社が製法の使用許諾を得て、即席麺を製造した。

 奥村はいう。

 「安藤さんとはずいぶん長くつきあいましたけれど、もうけるためにというのではなくて、社会に貢献したいという思いの強い人でしたね」

 安藤が発明したのは、別の言い方をするなら「手間暇の節約法」でもある。即席麺のヒットは、高度経済成長とピタリと重なる。家事や労働についての人々の意識は大きく変化した。手軽で保存のきく加工食品は、社会のニーズに合っていた。インスタントコーヒーが国産化されたのもこのころ。簡便なインスタント食品は、一気に家庭に広まった。=敬称略(篠原知存)

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2010年04月24日

福知山線脱線 JR西日本歴代3社長の起訴状要旨(毎日新聞)

 JR福知山線脱線事故で業務上過失致死傷罪で起訴された元JR西日本社長の井手正敬(75)、南谷昌二郎(68)、垣内剛(66)の3被告の起訴状の要旨は次の通り。

【写真特集】もう一度事故の様子をみる JR福知山線脱線事故

 (1)井手被告は92年6月〜97年3月、南谷被告は97年4月〜03年4月、垣内被告は03年4月〜06年2月、社長として会社の業務を統括し、事故防止についても、経営会議などを通じて必要な指示を与える立場だった。また、社長在任期間、社内の総合安全対策委員会委員長として、鉄道の運行に関する安全体制を確立し、重大事故を防止するための対策を指揮すべき業務に従事していた。

 (2)同社は東西線開業に伴い、福知山線を東西線、片町線と直結させて利便性を高めようと計画。福知山線の列車本数を大幅に増やして利用客増による収益拡大を図るという経営方針の下、福知山線から東西線への乗り入れを円滑にするため、兵庫県尼崎市久々知3の福知山線上り(尼崎駅方面行き)線路の右カーブ(現場カーブ)を従来の半径600メートルから半径304メートルのものに付け替えた。その結果、現場カーブの制限速度は時速95キロから同70キロに変更され、手前の直線部分の制限速度(時速120キロ)との差が時速50キロに拡大した。現場カーブの付け替え工事は96年12月に完成し、97年3月に運行を開始した。

 (3)現場カーブの半径を半減させるという、他に類例を見ない変更により、快速列車の現場カーブにおける転覆限界速度は時速105〜110キロに低下し、現場カーブ手前の直線部分の制限速度の時速120キロを下回った。さらに、ダイヤ改正で快速列車の本数が1日34本から94本に増えたため、運転士には従来以上に定刻運転の要請が強まり、現場カーブの手前まで制限速度の時速120キロかそれに近い速度で走行する可能性が高まった。従って、運転士が何らかの原因で適切な減速をしないまま、このような速度で現場カーブに進入した場合、脱線転覆する危険性が差し迫っていた。

 (4)現場カーブの変更時や東西線開通時、井手被告は社長として▽南谷被告は副社長として▽垣内被告は取締役経営企画部長として、(1)現場カーブの半径が600メートルから304メートルに変更されて曲がり具合が急になっており、また、手前の直線の制限速度が時速120キロであることから、現場カーブ手前で相当減速しなければならないこと(2)カーブ変更工事の完成を控えた96年12月4日、函館線の半径300メートルのカーブで貨物列車が速度超過して脱線転覆する事故が発生していたのをはじめ、過去にも速度超過によるカーブでの脱線事故があったこと(3)東西線開通に伴うダイヤ改正により、快速列車の本数が著しく増加したこと−−を認識していたことなどから、運転士が適切に減速しないまま現場カーブに進入した場合、脱線転覆事故が発生する危険性を予見できた。

 (5)このため、井手被告はカーブ変更工事とダイヤ改正の際▽南谷被告は97年4月に社長及び総合安全対策委員会委員長に就任後速やかに▽垣内被告は社長就任後の03年9月29日にあった経営会議で福知山線にATS(自動列車停止装置)を整備する工事計画を決定する際、それぞれATS整備の主管部門を統括する鉄道本部長に対し、既に社内で危険性の高いカーブに整備されるべきものと認識されていたATSを現場カーブに優先的に整備するよう指示すべき業務上の注意義務があったのに怠り、変更後の現場カーブにATSを整備しないまま、手前の直線を転覆限界速度を上回る速度で列車を運行させた。

 (6)これらの過失により、05年4月25日午前9時18分ごろ、宝塚発同志社前行き7両編成の快速列車を運転士が適切に減速せずに時速約115キロで現場カーブに進入し、ATSがなく自動的に減速できず、脱線転覆させて線路脇のマンションの外壁などに衝突させ、乗客106人を死亡、493人を負傷させた。

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2010年04月22日

人間健康学部の新キャンパス、開校式 関西大(産経新聞)

 関西大学の「堺キャンパス」が堺市堺区香ケ丘町に開校し、16日、記念式典と新築校舎建築の地鎮祭が行われた。新キャンパスには、スポーツや福祉をテーマに人間の健康について研究する人間健康学部を設置。すでに、5日から約360人の学生が通学している。

 新キャンパスは、今年3月に閉校した堺市立商業高校の跡地に開校。既存の施設を活用した上で、新たに、食堂や図書館を含む延べ約4千平方メートルの3階建て校舎を建てる。

 人間健康学部には、生涯スポーツの指導者育成を目指す「スポーツと健康コース」などがあり、人間が健康で長生きするための研究を行う。地元自治体との連携も積極的に実施される計画で、小中学校に大学教員を派遣したり、市民向けの公開講座の開催などが予定されている。

 記念式典と地鎮祭には、楠見晴重学長らが出席し開校を祝った。

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